《陽》と【陰】のカップル

《陽》と【陰】のカップル

#まとめ
陽と陰のカップルは1つの全体性をもったシステムをなし、陽と陰の接点には無がうまれる。
<

陰と陽という字に関しては、陰陽という順序で名宣られることが多い。しかし、[前提#1:全宇宙集合]に対する認識作用によって《名で指定された対象》と【それ以外】に当該全宇宙集合が分離するという流れをあらゆる二元性の根源と見るので、《名で指定された存在》 → 《陽》および、【それ以外】→【陰】と派生するとして《陽》と【陰】という順序で記述するのが自然であろう。

 

さて、全宇宙集合の二元への分離をベースに考えるとは言っても、通常の《陽》と【陰】のカップル はそこまで広範な対象を想定しているわけではない。つまり、全宇宙集合の中の ある部分集合を考え、その部分集合がさらに《陽》と【陰】に分離すると考えるのである。逆に言うと、(カップルとして成立する=構造として成立する)《陽》と【陰】のカップルは全宇宙集合の中のある部分集合を指定するものと見ることができる。

 

この意味で、《陽》と【陰】のカップルは宇宙のある部分集合(コロニー=知圏の島)に慣れ親しむための『鍵』を成していると考えても良い。更に『鍵』を『門』と言い換えても良い。漢文字の『門』という字が右と左のカップルから成り立っていることは注目に値することであろう。右・左のどちらが陽でどちらが陰かというのは、時間に依存した相対的な問題に過ぎない。

《陽》と【陰】のカップルの性質をよく示す例として《意識》と【無意識】のペアを挙げておこう。主体としての自分と意識の作用を同一視したならば、《意識(されているもの)》が陽となり、【意識されていないもの(=無意識)】が陰となることは自明なことであろう。言葉によって何かを認識する限り、1つのことしか決して同時に認識できない。したがって、意識の作用を言語系と同一視する限りにおいて、ある時刻においてどちらが《意識》でどちらが【無意識】であるか同定することができることになる。

 

例えば至極単純な「歩く」という動作においても、「右足を前に出す」ことを意識したならば「後ろにある左足の動き」は決して同時刻に意識できないのである。これは「意識できないものをコントロールすることができない」ということを意味するものではないことを注意しておかねばならない。実際のところは、意識できないにもかかわらず万事はコントロールされているのである。つまり意識されていないものは、無意識においてコントロールされているということである。いまは言語系と意識を同一視しているので無意識による動作とは言葉を介在しない動作ということになる。

われわれは普段物事を見るときに、物事の現象面ばかりを見ている事が多い。つまり《陽》なるものばかりを見ているのである。その裏にある【陰】なるものを観ることを忘れているのである。《陽》と【陰】のカップルのなす全体性を意識することを忘れなければ、物事の全体性を見失うことはないのである(現象という言葉に対応するカップルは潜象であり、現象ー潜象でペアをなして相補的な運動をしていることになる)。

 

尚、典型的な場合における《陽の領域が含有する情報量》と【陰の領域が含有する情報量】を比較した場合、後者のほうが圧倒的に多いことがほとんどであろう。全体性の中で一度に認識できる情報量は実際のところ僅かなのである。先程の「歩く」という動作の全体を考えていみると、その要素としては、右足の動き・左足の動き・腰の動き・筋肉の動き・神経の動き・細胞の動き・細胞を構成する分子の動き・・・とあるのであるから、意識されるものよりも無意識の領域のほうが情報量としては圧倒的に多いということは納得できることであろう。

 

物質的世界観で宇宙を突き詰めた結果《5%の物質》の他に【95%のダークマターとダークエネルギー】があって頭を悩ませる結果となっている原因もこのあたりにあるのかもしれない。

《陽》と【陰】のペアの全体性という問題は、量子力学における不確定性関係を踏まえておくとわかりやすい。量子力学的な(ミクロな)系において、位置と運動量の不定性の間に定量的な関係があるとするのが量子力学における不確定性関係である。 式で書くと
\[
(位置の不定性)\times(運動量の不定性)\geq(プランク定数)
\] ということである。例えば電子顕微鏡を考えてみると良い。わりと大きな物体を電子で測定するのであれば揺らぎは殆どないが、電子の運動量自体が効いてしまうほど小さなものを電子で見ようとした場合に、測定される位置の揺らぎはとても大きくなってしまう。そのようなイメージである。

 

このように不確定性関係がなりたつような位置と運動量は共役な変数であると言われる。ここでは、共役という言葉をカップルと置き換えてもよいであろう。位置と運動量のどちらを主なものと見るかは場合によるが、通常フーリエ変換と呼ばれる手続きで両者は関連付けられることになる。量子力学において、《陽》と【陰】の共役な変数の不定性が、それらのペアのなす全体性(=プランク定数)に結びついているというのは興味深いことではないだろうか。片方の精度を上げようとすると、もう片方の精度は下がってしまう。《陽》と【陰】のなす相補的な運動はカップルの全体性に規定されているのだ。

更に《陽》と【陰】のカップルの接点という考え方を導入する。これは先程の《陽》と【陰】のカップルのなす全体性とはまた少し趣の異なることで、カップルのなす全体性の外部に関わることである。つまり、陰と陽のカップルを一つのモジュール化された陽(=《[《陽》と【陰】のカップル]》)とみることによってその補集合としての宇宙の全体性に回帰する作用を見出すわけである。象徴的には、《陽》と【陰】の接点には、拮抗(および融合)の作用が生じてそこに無が生まれると見るのである。その無こそが宇宙の全体性とつながっている。 \[ 《1》=【1】
\] という式を考えてみる。これは左辺の陽と右辺の陰が等価であることを示している。これを移項することによって、 \[ 《1》-【1】= 0
\] という式を得、右辺には0が現れる。陽と陰の接点には無がうまれるという考え方は、このように理解しておくとわかりやすいであろう。

 

《陽》と【陰】のペアはシステムとして自律した全体性を持っている。そして、《陽》と【陰】の接点にうまれる無こそが無限へとつながっているのである。我々人類が、自然から受け取っている恵みもこの接点を通じてもたらされるものであろう。

 

最後に、陽と陰の織りなす世界について大きな示唆をのこした二人の偉人に感謝の意を述べる。江戸時代の哲学者三浦梅園と、フランスの数学者グロタンディークである。機会があれば今後紹介させていただきたいと考えている。

#まとめ
陽と陰のカップルは1つの全体性をもったシステムをなし、陽と陰の接点には無がうまれる。
<

投稿を作成しました 9

関連する投稿

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る