禅と念仏、0と∞

 

禅と念仏、この二つは見た目は大分異なるようにも見えるが、
徹底したところでは結局同じ境地へ行くものであると言われる。

 

 

禅では徹底して「無」ということが言われる。
有るとか無いとかいう相対的なものではなく、絶対的なものである。
それは、0に漸近し、結局のところ0になり切ってしまうものと言ってよいのかもしれない。
そうすると、己が無くなる。己が無くなるということは結局、宇宙全体と己が本当に区別がつかなくなるということである。

 

 

一方で、念仏では一心に「南無阿弥陀仏」へ向かってゆく。
阿彌陀佛とは、その字義において「計算しつくせないもの」である。
あみだくじというのも、計算できないものに委ねるというわけである。
計算できないものということは無量であり、無限である。
ということは、念仏においては ∞ なるものに向かってゆく。
漸近してゆき、ついにはそれになりきる。

 

 

結局、禅と念仏が同じものであるというならば
→0と→ ∞ が一致するということであり、
0= ∞ という様態を示すのではないだろうか。

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