自然数1のわからなさを全宇宙に委任する

「自然数1のわからなさを全宇宙に委任する」

自分の本当にやりたいことは何か?

 

これはおそらくは誰しもが自問することではないだろうか。かくいう私も最近そのようなことを考えることが多かった。とりわけ、具体的な研究テーマなどを推し進めていく段階に来ているからなおさら「これで良いのか?」と自問してしまうのだろう。

ところで最近、自分が小学生や中学生のころに抱いていた感情をふと思い出すことが増えていた。ある程度自分がリセットされてきて、様々な記憶がつながりだしてきたのだろう。

そんな時に思い出す感情は「淋しさ」「疎外感」「これじゃない感」の類いだ。どこか一歩ひいいて見てしまって「周りに溶け込めない感じ」というのはずっと自分に棲み着いているもので、小さい頃からさほど変わっていない。努力はしていても、本当にこれ以上努力できないのかといわれると、そうでもない気がするような感じ。一方、自分も努力しており、「メタ自分」も努力している時、というのはおそらく幸せそのものだったのだろう。数少ないが、そういう経験も有るような気がする。

 

とりわけこれは自分が「幼少の頃に白内障になり、水晶体摘出により片目のピント調整機能を失った」ことも大いに影響しているであろう。この意味についてはまた「2017年の振り返り」とともに書くことになるだろう。孤独感はそれを感じれるうちが華で、大切なもの。

 

「自分がやりたいこと」という話題に戻る。「自分が何がやりたいか」ということは実はあまり大切なことではない。「何をするか、何をしたか、何を残したか」という実存に比べた時に、何がやりたいか、というのは興味の形骸を言語化したもの程度なのだろう、というふうにも思う。一方で、「胸の中にあるもやもやしたもの」、はずっと一貫してあるようにも思われる。

 

多分自分は「やりたいこと」をやっているのだが、「やりたいことをやった自分」は「やりたいことをやりたかった自分」ではないので、いかに言語化してもそれは過去になってしまうがゆえに「それではない」と思い続けてしまうのだろう。この手のことは過去にも同じようなことを考えた気がする。人間は忘れる生き物だ。

 

それでは全く何も成長していないのかというと、そうではない。「頭の中」で考えられること自体にさほど変化はないのかもしれないが、世界との関わり方のほうが今大きく変化しつつある。世界の中で行動したその道程が言葉となるような生き方へとシフトするなかで今必要があって少し悩んでいるということだ。

 

最後に。ちょっとわかりにくい結句を。

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「自然数1のわからなさを全宇宙に委任する」

自然数の1がわかるということは、全宇宙がわかるということ。

自然数の1のわからなさを全宇宙に委ね、肚でそれに繋がっていればいい。

自分は、古き悪癖をリセットし、赤子の初心に還る。

学問は、宇宙の初心を知ることに至る道程。

動態系宇宙船地球号操縦マニュアルの時代へ。

 

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