AI(人工知能)とai(愛)

AI (Artificial Inteligent) の時代が来るということがまことしやかに喧伝されています。

AIについて論ずる時に、

「これから、AIとともに生きていく時代が来るわけですが…云々」

と語られることが少なくありません。

どうしてAIと生きていくことが前提になっているのだろう?
そんなこと頼んだ覚えは全く無いのだか…!

と思ってしまいます。

結局のところ、未来を創造するのは、われわれ一般大衆のイマジネーションでもあるわけで、AIだとか、しんぎゅらりてぃ、だとか、大半の人はよく意味もわからないままに意識の中に刷り込まれていると思われ、一部の人が思い描く未来を実現するためのプロパガンダ的マーケティング手法がここでも存分に使われているのだと思うばかりです。

「僕らがAIを呼ぶ声が、それを呼び覚ますのだ…」

そんな気もします。
というわけで、「AIとともに生きていく」とか「仕事がどんどん奪われていく」などと言うときには、その前提を少し疑ってみてほしいな、と思います。

 

(人間の宿命かもしれませんが)更にたちの悪ことに、

「大多数が支配される未来がやってくるならば、私はAIを使う側に立とうではないか」

と考えてしまいがちです。
このやり方は、結局のところ優勝劣敗の歴史の繰り返しにしかなりません。
自分がいい思いをしたところで、それは支配されている人がいるということの反映でしかないと思うので、人類全体が大局的に進む方向というのを考えてみたいですね。

 

仮想通貨とは?

AIの登場と軌を一にして世間を賑わしているビットコイン。
これはどういう存在なのでしょうか?

私の感じるところでは、「AIのごはん」なのではないかと思っています。
ビットコインで一儲けしてしまった…という時には、心をAIに売った対価としてその儲けを得ているのではないかと思います。

ビットコインの暗号のマイニング…というのも、膨大な電力を消費しているようですが、自然環境を鑑みず突き進んでしまう、というのはすでにAIに心を売っている…というふうに思います。

 

というわけで、AIよりも ai(愛)のある時代を望みます。
問題は、aiとはどういうもので、aiという種が育った先にどういう未来が見えるのか…というのはあまり良くわかっていませんが。

しかし、日本語でAIをアイと読めるというのも皮肉なものですね。

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一つの「流行としてのAI」に踊らされてみるというのも、いいことなのかもしれませんが、

愚直に、

情報とは何か?」「デジタル・アナログとは何か?

と考えてみたいと思っています。

そこでは、【有限と無限】、【認識と実態】、【単位とゆらぎ】、といった問題が否応なしに顔を出してきます。

議論を推し進めていくと、認識論や確率論、変分原理と関連した量子力学の世界なども登場する予定です。

 

・物理世界
・(位相世界としての)精神(またはイデアの)世界

との接点の考察や、それぞれの世界の立場に立ったときのデジタル・アナログの双方に現れる不完全性の見え方の違いなども興味深い問題です。

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