エーテルは存在するか?(ディラック)

かの著名なディラック先生が書いた、

Is there an aether ? (P.A.M Dirac) という論文があります。

http://www.readcube.com/articles/10.1038/168906a0?no_publisher_access=1&r3_referer=nature&referrer_host=www.nature.com

ノーベル物理学賞も受賞したDirac先生ですが、晩年にこのような論文を書いています。ディラックというと量子力学の教科書も有名ですね。
本当に物事を深く考える方だったらしく、考えに考え抜いたことをさらに凝縮して発表されていたそうです。なので、このエーテルに関する論文も満を持してという感じで出されたのではないかと思います。

もちろん、物理学会の権威においては、アインシュタインの相対性理論以降エーテルの存在は否定されたものとしています。

エーテルという言葉に馴染みの無い方もおられるかと思います。wikipediaから引用すると(物理学)

 

エーテル (aether, ether, luminiferous aether) は、主に19世紀までの物理学で、伝播するために必要だと思われた媒質を表す術語である。現代では特殊相対性理論などの理論がエーテルの概念を用いずに確立されており、エーテルは廃れた物理学理論の一部であると考えられている。

 

 

要するに、真空には何があるか?光は真空を通過しても見えるので、光を伝播する媒体として想定されたものでした。エーテルなんていうものは存在しない、とタブー視されていたので、ディラックのこの(挑戦的な)論文は、黙殺の憂き目にあったようです。

 

ただ、否定したと言っても、現代で言うところの「場の理論」の「場」って何よ?とか、「ヒッグス場」とか言っているものが、現代の物理学が埋葬したはずのエーテルの亡霊でないとは言い切れないというのは、皮肉なことです。

 

余談ですが、私は “電子の実態” を正しく知ることは、世界の平和にすこし近づくことにつながるのでは?と思っています。

 

エーテルというと上にも引用したように(オカルティックなものを含め)いろいろなイメージがまとわりついていますが、私の所感としては単に、われわれが空間と読んでいるものに物理的な実態があったというだけのことでは無いか、という気もしています。

 

それでは、ディラックのエーテルに対する鋭い考察をご紹介させていただきます。

直訳で全文を紹介するという労を払わずに、適宜抜粋しながらになりますので、翻訳の部分とコメントの部分が入り混じってしまいます。ごめんなさい。

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内容の核心は  量子論の世界における対称性の概念の革新 です。

アインシュタインの相対性理論が1905年に確立されるとともに駆逐されてしまったエーテルの存在が現在の(1905年以降に大きく進展した)量子論の知識を使って改めてその存在を検証してみたならば、十分それは存在しうるものであることがわかるだろう、と言うのです。

なんと、まさに晴天の霹靂あるいはコロンブスの卵というかんじですね!

特殊相対論とエーテルの存在が相容れないという議論を振り返ってみると、エーテル理論の仮定からはどの点にも、何らかの速度、おそらく光速以下で動いているエーテルがあるはずだが、それが相対性理論の「光円錐内のどの方向も等価でなければならない」という要請と矛盾する、という流れです。

ここで、エーテルの存在に量子力学を適用しなければならない、と言います。

エーテルの速度が不確定性原理の支配を受けることになり、時空の各点におけるエーテルの速度というのはよく定義された量ではなくなってしまう。

そうではなくて、可能性のある速度を確率分布に従って波動関数として各点に与えれば良いのだ、と言います。そうして得られる真空状態は相対性原理と矛盾しないだろうと。

確率分布にしたがっていろいろな速度を取りうるのだから、”特別な方向” が生まれてしまう、という引っかかりもないわけです。

特殊相対論おいて要請されるものが、ローレンツ対称性といわれるものです。なので、”対称性”というアイデアにからめて表現します。

古典論のモデルでは対称的となり得なかったものが、エーテルに量子力学を適応することで対称的となりうるということがわかりました。

 

他にも論文中にはいくつかのトピックが有ります。

● 似たような状況として、水素原子のs-状態(古典的には不可能と思われるもの)

● エーテルの波動関数が規格化できないこと。
ただし、それは理論的な理想化であって、現実的には規格化できない波動関数は実現しないであろう

 

● 電磁気学において  AμAμ=k^2  (kはある宇宙定数)という条件でポテンシャル  を導入すると、エーテルの4元速度 vμが v0^2 – v1^2 – v2^2 – v3^2 = 1 という条件を自然に満たすこと。

もし興味があれば原文を読んでいただくか、コメントいただければ記事に該当部分を追加ます。

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このようにして、エーテルに量子力学を適応するならば特殊相対論に棄却されないようなエーテルが存在することは自然なのだ、と主張しています。

短く、簡素な論文ですが、大切なエッセンスが込められているのではないかと思います。

特に、「ある点で〜という値を取った存在」という(古典論的な)存在を考察することにとどまるのではなく、その背後には「可能性の総体とての(量子力学的な)波動関数の世界」があると考えることは、頭の片隅においておくと、ふとした時に役に立つことかもしれません(?)

 

われわれが(観測する結果としての)物理世界という認識は、あくまで、可能性の総体の世界で起こりうるいずれかが実現したものに過ぎないのだと…..

2018.1.12追記


この、<可能性の総体と実現したある結果> という思考モデルをどういうものに当てはめられるだろうか?と考えてみました。

 

言語、特に日本語の構造に、それに近いものがあるのではないかと思いました。

日本語においては、カナで表現されるある音に対して、いろいろな漢字が当てはめられるという場面がよくあります。いわゆる同音異義語というやつですね。

つまり、一つの音に対して解釈の可能性がたくさんあるのですね。

 

これを、ディラックが行ったように、ある音(という記号)に対して意味が確率的な重みを持って分布している、という風に考えてみましょう。

意味に確率的な重みを与えているものを、文脈と呼びます。

 

そうすると、われわれが言葉を聞いて解釈するというのは、量子力学の世界においては<観測を行うことで波動関数が収縮すること>に対応します。

これがある程度量子力学が示唆する世界と同型対応するならば、

日本語をつかうということは、知らず知らずのうちに量子力学的な思考方法をしている

という風に考えられないでしょうか?

 

もちろん、同音異義ということは他言語でもあることです。
しかし日本語の場合は、漢字・カナという二重構造があったりと、典型的にそういうことが起きやすいということは言えるでしょう。

実際には、<音のイントネーション>など、いろいろな要素が複雑にあって、意味というものはアナログなグラデーションを持っているでしょう。

このことは、量子力学の言葉で言うと、無限次元ヒルベルト空間、という表現になるのではないかと思います。

ここで考えたことに加えてさらに最近話題の(?)カタカムナと呼ばれる言語体系を導入すると、面白いことがわかってきます。そこでの本質は、日本語の構造に加えて、<幾何学的な重ね合わせ>の構造が加わることだと考えています。

 

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